P5 通 信
NO.86
平成8年11月1日

アメリカ社会

午後3時半、東京・羽田国際空港の22番ゲート、貴賓スポットに大統領専用機エアーホースワンが到着し、前駐米大使の牛島接待委員長とハドソン駐日米国大使が機内のフォード大統領に挨拶をしたのは、20余年前の1974年(昭和49年)の今月18日のことでした。この日が、アメリカ合衆国の大統領が初めて公式訪問された日です。
米国では、1960、1970年代に、第2次大戦後のベビーブームと先進諸国の経済力の低下を背景に、製造業が発達し、米国社会の絶頂期を迎えていました。米国の多くの国民が中産階級化し、綺麗に手入れされた庭には、名犬ラッシーが、郊外の1戸建住宅には、しつけの良い子供に、良きパパとサマンサのようなママによる理想的なアメリカンファミリーがそこにはありました。日本人の多くが憧れた米国像でした。 その後、第2次大戦の痛手から日本や欧州企業の競争力も回復し始めると、米国では、権利意識の増大や大きな政府による企業規制の強化により製造業が活力を失い始め今の日本のように産業の空洞化がおきていきます。その上ベトナム戦争で莫大な戦費をつぎ込んだ米国社会に、人種問題、貧富の差の増大による黒い陰が差し始めました。 60年代半ばから民主党ジョンソン政権が誕生し貧困に対する戦いも十分な結果が出せないまま過ぎていきました。
その中で、1970年代には米国社会は、人種差別、性差別解消の要求が出され、国内に多くの問題を抱えたそんな時代のアメリカの大統領の来日でした。
また、米国は、外には産業の自由化を求め日本にもその波が現れてきた頃です。米国の70年代は、一向に暮らしの良くならないばかりか、国民負担が増えて苛立ちの募ったミドルクラスの保守化が始まり,80年代のレーガン共和党保守政権の誕生に繋がっていきました。
11月の税金予定
個人事業税の納付(2期分)
条例で定めた日 通常月末
税を知る週間 11〜17
1992年に誕生した民主党のクリントン大統領は、保守でもリベラルでもない、民主党でも共和党でもない国民第一主義であるとして、変革を約束して登場しました。最初の2年間は惨憺たるもので、多くの民主党議員が落選する結果となったのは記憶に新しいところです。この様に米国の大統領は、国民から厳しいチェックを絶えず受けています。
アメリカ人は、政府とか権力機関は、元々腐敗したり市民(国民)の権利や自由を侵害する危険性を持っているから、市民がチェックを怠らないようにしなければならないと考えているようです。
日本では果たしてどうでしょうか。
組織や集団に対する考え方が、日本人とアメリカ人とでは、根本的に異なっています。
日本人は、企業や組織は人々の集団であり、自分はその中の一員であるとしか考えませんが、アメリカ人は、企業や組織は個人による目的達成のための手段だと考え、いかに機能的であるかが重要な要素だと考えています。
日本の今日の税制は、戦後、米国の税制使節団によるいわゆる「シャープ勧告」によって、基本的な枠組みが決定されましたが、同じように日本における民主主義教育の必要性と教育の役割について米国教育視察団の報告がなされています。その中で、教育基本法、六三制、教育委員会制度、男女共学、P.T.A、ホームルームなど日本の戦後教育制度の根幹が導入されました。
教育使節団が、教育の役割として報告したものを少し要約してみます。
*民主主義では、個人の存在が重要な 価値を持つ。
*個人の利益を国家の利益の下に置い てはならない。
*自由を獲得してそれを守っていこう とするならば、お互いに協力する意 志を示さなければならない。
*不断の努力こそが自由の代価である。
*政治は名誉であって恥辱ではない。
*政治に対する無関心こそ恥辱である。
*無関心は、悪人が善人を支配し、さらには国全体を悪に巻き込む結果を 許してしまう。
というものでした。
この精神が教育に生かされてきたでしょうか。
先月の20日に衆議院選挙が行われ、前回の総選挙から三年三ヶ月を経過して国民の信と次の世代へ向けて政治選択の意思が問われました。残念ながら総有権者の10人に4人は、投票に行かなかったのです。
確かに、投票しなかったという意思表示はなされたかも知れません、その意思は、投票した人の意思を自分の意思として認とめるというものなのかも知れません。しかし、本当にそのようなはっきりした意思を持っていたのでしょうか。
投票した人は、たった1票。それがどれだけの価値があるか判りませんし、その中にも自分の意見を持って投票した人もいたでしょうし、誰かから頼まれて何も考えずに1票を入れた人もいるでしょう。頼まれて投票した人も、時間がたつと、いろいろな団体、組織からの締め付けによる投票を批判するのは面白い現象です。どこが違うのかあまり考えないようです。
一方、反対票に入れた人は、自分の意思と異なった結果に対して、無関心か追認か判からない無投票の人と同じように1円の値引きなく100%その結果を払います。しかしそれは多数決原理の基では、それ以上のものは今のところ見つかっていません、止むを得ません。
日本社会では、自分の意見や希望、不満などを主張することは、集団の調和を乱し、自分勝手で不作法なこと考えられているといわれています。もしそうだとしたら社会のチェック機能の弱い国民だということになります。
米国では、「個人主義」は「民主主義」の前提となってなっていますが、日本では「個人主義」と「民主主義」
は別のものと考えられているようです。そこで、米国では、人々の生活と政治の距離が極めて近いが、日本では、政治は政治家に任せ、行政は政府に任せるべきものだとの考えが強くなっていきます。人を信じて任せることは良いことですが、何から何まで任せるようでは、人はその存在価値を疑われてしまいます。
今回の総選挙で、投票を棄権した人を責めているのではありません。全体の責任です。我々は、たとえ国に対して無関心でいようと、善し悪しすべての結果を支払うことになります。どの様な意識を持ったら良いのか考えてみる必要があるのではないでしょうか。結果責任は、すべて国民が負います。政治のせいにすることも、行政のせいにすることも許されません。
社会に対する考え方を、米国との比較を通じて書いてみました。米国がすべて正しいという次元の低い話をしているのではありません。人は一生何かを学んでいかなければなりませんし、多くの教材を必要とします。いろいろな比較も必要でしょう。また教材の中で最も重要なものの一つに経験から生まれるものがあります。しかしそれは蓄積されて初めて教材といえます。忘れないことが大事ではないでしょうか。
結果から学ぶことが大事です。その点からするとパソコンは、しっかり学習機能が付いています。そんなパソコンをいじってみようと今月もパソコン教室を開催いたします。興味のある方はご参加下さい。
(澤田正「ビジネスマンのための『よく分かるアメリカ』上中下」国際商事法務24,8,822他参照。)

P 5 Corner

固定資産税評価替え
(株)P5では、経営計画策定、保険・不動産等の
資産運用業務を行っております。

先日、平成9年度の固定資産税評価替えのための、固定資産税の評価の基になる路線価が発表されました。評価替えは3年ごとに行われますが、3年前と比べると都市部の平均で40%も下がったとのことです。下がり幅の大きいところは、大阪、千葉、愛知、京都で60%以上下がっています。
固定資産税の評価については、全国各地で適正な評価を求め不服申し立てがおこされています。
このため固定資産税の税額の計算は、相続税の計算と違い、直接評価額に税率を掛けるという方法を採っていません。3年前の評価額と評価替えされた評価額の上昇率に応じて、以前の評価額を10%程度アップするという負担調整率をとっていて、それに税率を掛けますので、評価額が高すぎたといってもそれだけで違法といえるのかどうかは疑問です。勿論このようなときには、評価替えの間隔を変えるような制度上の措置をとらなかったことに対する批判は受けられるべきでしょうが・・・・

編集後記
選挙も終わり消費税は結局5%で決まりのようです。個人的に税負担の
増加もつらいですが、これからは会社の帳簿付けも大変になります。
毎年のことですが、保険料控除証明書が郵送されてくる時期です。なく
さないよう保管して年末調整で所得税の還付を受けて下さい。
編集発行 株式会社プランニングファイブ


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Last Updated: 14/NOV/1996