P5 NEWS         SHONAN TAX OFFICE  NO.243   
 




 
 
平成21年12月1日
 
2009年総集編
 

  とうとう今年も今月で終わり。今年は,インフルエンザの予防注射も出来ず、冬に突入してしまいました。

 あっという間の一年。そういえば昨年の12月号のネタは,何だったか調べてみますと、「ヒルズ族」と「十大ニュース 」。今月号は、総集編と銘打ってしまったので、「十大ニュース 」は取り止めさせて貰います。

 この事務所通信のレイアウト、ズート変わっていません。変わらないのは、仕事ができないからだと言ってきた身とすれば、その通りかと。

 ついでに、仕事の出来る人は、仕事をする。出来ない人は人を教える側か人の金を使う側になるそうです。自身を含め概ね万民に当てはまる!!

 さて、来年度の税制改正がどうなるか興味深いところですが、政府の税制調査会は、12月半ばに大綱(改正の方向)を出すと言われています。11月末には各省庁から出された要望項目について、各項目の一次査定が出されました。

 例えば,要望項目ごとに

A:認める。(法案の提出等を前提とするものを含む)
B:要望内容(要件等)の見直しが適切に出来れば、認められる。
C:要望内容の抜本的見直しができなければ、認められない。
D:認められない。・・・
 

その中から・・

*試験研究費の額が増加した場合等の法人税額等の特別控除の延長…C

*中小企業者等の少額減価償却資産の取得価額の損金算入の特例の延長…C

*中小企業者が機械等を取得した場合の特別償却制度又は税額控除制度(中小企業投資促進税制)の延長…C

*交際費等の課税の特例(中小法人における損金算入の特例)の延長…A

*住宅取得等資金に係る相続時精算課税制度の特例措置の延長…B

*外航日本人船員に係る所得税の軽減制度の創設…D

*死亡保険金の相続税非課税限度額の引上げ…D

            
 

12月の税務・総務予定
(税務)
給与所得の年末調整
(原則)本年最後の給与の支払時
*固定資産税・都市計画税(第3期分)の納付 通常月末(1月5日)
(総務他)
*年賀状(平成22年で最後に)の郵送
*年末ボーナスの支給
 
 

日本の税の歴史総集編(戦国時代まで)

 

古代

 大化の改新(645年)ごろに、律令国家の出現に併せて我が国に統一的な税ができたといわれています。古代の税は、それ以後の「土地」ではなく「人」に対して課していました。このため、戸籍調査が必要になりました。

 飛鳥時代以降に全国的な人口調査を行ったのは、江戸時代の八代将軍吉宗の時代(1700年頃)で、3,000万人ぐらいだったそうです(宮林『江戸の生活と経済』94頁)。明治になると3,500万人ぐらいになっています。その後現在まで100年そこそこで4倍の爆発的な人口増加があったことになります。

 天皇家の権力が顕著になった大化の改新による政治改革によって、中国からとりいれた「律」と「令」という法律による律令国家がスタートしました。

 朝廷は,日本で最初の年号を冠して大化元年(645年)としました。その翌年に,それまでの豪族が私有していた土地と人を,朝廷(国家)が直接統治する公(こう)地(ち)公(こう)民(みん)を実現しようとしました。その一環として全国の耕作地を区分けして、それを民にリースします。ここで面白いのは、唐の均田法を参考にした班田収授法(はんでんしゆうじゆほう)によって、6歳以上の一般農民である公民の男子に二反(たん)(その当時は、今より広く一反(段)は360坪),女子は男子の2/3の口分田が与えられました。何で6歳だったのかよく分かりませんが、面白い制度です。

 口分田は貰った民が生きている間は耕作することができますが、売買は禁止されていました。家族(所有している奴婢(ぬひ)なども含まれます)が多ければ口分田が沢山もらえました。

 ちなみにどこの高校の教科書にも、班田収授法の記述はありますが、その通り口分田が与えられたかどうかは、はっきりしません。耕作地は、当然、限られたものであったはずですし、そう簡単に増やしたりすることはできなかったでしょうから、むしろ土地の国有化を宣言するという意味しかなかったのではないかとも考えられています。一説には一般農家の実際の耕作面積を6歳以上の男女で割った平均値だったともいわれています(田名綱『古代の税制』41頁)。

 口分田を貰って(預かって)も、国にリース料(税)を払わなければなりません。それが小中学校の教科書に出てくる「租(そ)・調(ちよう)・庸(よう)」という税です。

鎌倉時代

 11世紀までの、天皇の権威を利用して行った貴族政治である摂(せつ)関(かん)政治によって、高い地位にある朝廷貴族が地方に多くの荘園(大規模な私有地)を持ちはじめ、荘園からの税の確保も地方の有力者にまかせるようになってきました。地方政治が大きく変遷した時代です。地方に住み着いて有力者となった皇族や貴族の子孫たちを中心とした武装集団である武士が登場してきたのもこの時代です。

 鎌倉幕府は、源頼朝が、朝廷の承認を受けて成立したもので、公家政治から完全に切り離されたものとはなっていませんが、頼朝配下の地方豪族はそれぞれの私有地である荘園からの年貢が主な経済基盤となっていました。

 この年貢は、田畑からの農作物ばかりでなく公田のない場合でも山野河海からの特産品を含む広い概念として使われています。

 この中で、年貢の収納システムが整備されていきました。納入・未納などの決算システムや多様な年貢品の換算システムが必要でした。年貢が、田率で米に換算され、田の面積に応じて納入額が決めらていましたので「所当」ともいわれていました(貞永式目抄)。税のシステムは、今も昔もあまり変わりません。

 荘園制下では、年貢の他に「公事(くじ)」といって労働・供応・送迎などの雑税も重要な税でした。この公事を課す権利は、次第に地方に移ってきます。それが益々地方に転化し、力を持つことになっていきました。

南北朝・室町時代(1333-1467)鎌倉幕府は、元寇による影響もあり経済の混乱などによって崩壊しました。その後後醍醐天皇の建武の新政(1334)。でも長続きせず、二年足らずで足利尊氏による幕府の再興が図られました。

 税は、室町幕府をはじめ公家や寺社も,それぞれの所有する荘園から得ていました。 幕府直轄の荘園のことを、「御料所」とか「公方料所」とか言われていました。

 この「料所」からの税収ですべてまかなわれる訳ではなく、室町幕府は、京都における最大の商工業者に対する税である酒(さか)屋(や)土(ど)倉(そう)役(やく)も重要な税の柱になっていました。

 この酒屋土倉とは、酒造りや高利貸し業者である土倉を意味し、いわゆる金持ち税というところだったようです。その頃の京の酒屋は三百数十カ所といわれ、それらのものの多くが土倉も営んでいました。酒屋役の徴収は、一件あたり十壺から数十壺とだったようです。酒税は、明治の時代に税収のトップを飾ったことを考えると,酒は昔から重要な税収になっていました。

 土倉役は、金融業を営む土倉に営業特権を認める代わりに、納めさせた役銭であったようです。この金額がどのくらいだったか判っていませんが、この酒屋土倉役は、現在の消費税のように幕府にとっては安定した税収として幕府財政の一翼を担っていたことは確かなようです。

 現在の一般的な税は、50種類ぐらいとあるとされていますが、室町時代の税もそのほかに色々とありました。

 中世、荘園領主による課税とは別に、国家的諸行事ののために臨時に課税された“段(だん)銭(せん)”が有りました。面白いのは、銭納が原則で、「田畑一反あたり何文」という形で課せられていたことです。

 家屋の棟ごとに臨時の税に、“棟(むな)別(べつ)銭(せん)”があり、寺社の修造費用に充てられ棟別10文ほどの銭納によっていたといわれています(佐藤『租税』58頁)。

 ところが、この銭というのがくせもので、今のように価値があったかと言えば、限定的であったようです。

戦国時代

 この時代になると、大名は合戦に明け暮れ、当然税の取立も厳しくなります。そうなると納税者である百姓衆から税の減額を求める減免要求が出されてきます。これを“詫(わび)言(ごと)”といいます。

 百姓衆は、天災や合戦による困窮状態を理由に年貢の減免を要求します。これを“退(たい)転(てん)詫(わび)言(ごと)”といいます。一種の訴訟ですが、さもなければ、逃散や欠(かけ)落(おち)といった実力行使に出るほかなく、うまくいけば大名側が赦免として対応してくれました。

 税金の計算は、検知で掌握された田畑の面積に税率である基準貫高を乗じて算出します。そして減免要求などで免除額を控除します。この控除額のことを“引方”といいます。    (続く・・多分)

 

ところで、中小企業の各種団体が要望し民主党のマニフェストに記載されていた「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入制度の廃止」は、雲行きが怪しくなってきました。

 経産副大臣は、「中小企業の法人税の軽減税率を11%に引き下げることは来年度からの施行を目指すが、軽減税率と特殊支配の廃止を併せて行うと,約2,500億円の財源を必要とするため,すぐに特殊支配同族会社税制を廃止するのは難しい」と。

 11月18日の税調資料では,財源は、中小企業軽減税率が1,800億円。特殊支配が700億円と試算していました。結局「任期期間である4年間で対策を講じたい」とのことです。政権4年もてばやるかも知れません。

 

省略

 


編集後記

 今年一年ありがとうございました。今月号は、日本の税の歴史の総集編(手抜きの意)。税の歴史の江戸時代からは、またの機会に掲載します。本号から外国送付以外はメール便にさせて頂きました。年賀状も既に買ってある来年の年賀状を最後に事務所の年賀状に幕を閉じ、事務所通信を新年の挨拶し、官(郵政)から民(宅配便業者)への大改革?を断行いたします。  
       
編集発行 株式会社プランニングファイブ